FANDOM


ジェイコブ・S・“ジャック”・リーボウィッツ(Jacob S. "Jack" Liebowitz)はアメリカの会計士、出版関係者。ハリー・ドネンフェルドとともに、DCコミックスの前身であるナショナル・アライド出版社を経営したことで知られる。

経歴編集

生い立ち編集

1900年、ロシア帝国(現ウクライナ)のフメリヌィーツィクィイにて、ユダヤ教徒の家庭に生まれ、ヤーコフ(Yakov)と名付けられる。母親は彼が3歳のときに再婚しており、既に家を去ったヤーコフの実父が何者なのかを明かすことはなかった。そのためヤーコフは義父の名字リーボウィッツを使うことになった。1910年、ヤーコフの一家はアメリカへ移住する。ニューヨーク州のローワーイーストサイドにあるユダヤ人地区に到着したリーボウィッツ家は、当時の慣例に倣い、アメリカ風の名前に改名する。ヤーコフはジェイコブとなり、やがてそれを縮めてジャックになった。ジャックは勤勉な少年で、勉学の傍ら新聞配達などの仕事をこなした。ハイスクール在学中、ジャックは会計に才能を見出し、この仕事なら貧困な環境を抜け出せるのではないかと考えた。

ドネンフェルドとの出会い編集

リーボウィッツは24歳でニューヨーク大学の会計学位を取得、1927年には結婚してブロンクス区へ引っ越していた。リーボウィッツはマンハッタンのユニオンスクエアを職場にし、父親が従業員をしていた縁で、労働組合International Ladies' Garment Workers' Union(ILGWU)の会計士として働くようになる。1925年、リーボウィッツは組合のストライキ用基金を任され、翌年には5万人の労働者による6ヶ月のストライキを経ても基金を維持するという商才を発揮した。こうした活躍からリーボウィッツは組合のオフィスで高い地位を獲得する。20年代の終わり頃、彼は顧客を拡大し株式市場の研究も始めていた。しかし株取引がうまくいったのは最初だけで、1929年のウォール街大暴落で大損害を出したリーボウィッツはILGWUを離れることになった。

1929年、ILGWUの関係でリーボウィッツの父親と親しかったハリー・ドネンフェルドが、彼のために仕事を持ちかけた。新進気鋭の実業家だったドネンフェルドはローワーイーストサイドの出身者に仲間意識を抱いており、ジャックは彼の個人的な会計士になった。出会いは偶然だったものの、用心深く論理的な思考の持ち主であるリーボウィッツは、社交的でチャンスを追い求める野心家のドネンフェルドのよきパートナーとなった。

リーボウィッツがドネンフェルドのもとで働き始めた頃、彼の事業は低俗な“セックス・パルプ”や芸術ヌード誌を手がける小さな出版社に過ぎなかった。1931年に配給元の企業が破産した後、この先もまた卸売業者のせいで挫折するのは避けたいと考えたドネンフェルドは、独自の流通システムを持つ出版社「インディペンデント・ニュース社」の創設を思いつく。ドネンフェルドは出版事業者として経営をやりくりし、流通事業者としての面はリーボウィッツを頼りにするようになった。リーボウィッツは支払いを滞りなく行い、これまでドネンフェルドの会社が成し得なかった、顧客とのあいだの信頼関係を実現する。

ナショナル、DC編集

1935年、自身が経営するナショナル・アライド出版社のコミック雑誌の配給元を探していたマルコム・ホイーラー=ニコルソン少佐がインディペンデト・ニュース社に接触した。コミック・ブックはドネンフェルドの専門分野ではなかったが、彼はホイーラー=ニコルソンに出資し、コミックの印刷と流通を手がけるようになった。ホイーラー=ニコルソンが出版した『ニュー・ファン・コミックス』は当時主流の新聞コミック・ストリップの再録雑誌ではなく、オリジナルの新作だけを掲載した世界最初の近代的コミック雑誌だった。しかし1937年に『ディテクティブ・コミックス』を出す頃にはインディペンデント・ニュースにかなりの負債を抱えており、ホイーラー=ニコルソンはリーボウィッツと協力して子会社「ディテクティブ・コミックス社」を立ち上げることによりようやく資金を工面することができた。

1938年、ドネンフェルドはホイーラー=ニコルソンを経営陣から除外し、ディテクティブ・コミックス社を破産させてその資産を購入した。その際、ディテクティブ・コミックス社の単独オーナーとなっていたリーボウィッツはホイーラー=ニコルソンのナショナル・アライド出版社も買い上げ、ドネンフェルドとともに、急成長を遂げるコミック出版社の全指揮権を握った。

新進気鋭の出版社のオーナーとなったリーボウィッツは、のちにナショナル/DCコミックスの主力雑誌へと成長するタイトル、『アクション・コミックス』を考案する。彼は編集者のヴィン・サリヴァンに新雑誌にふさわしいコンテンツを見つけるよう命じ、最終的にリーボウィッツ、サリヴァン、シェルドン・メイヤーの手によって、ジェリー・シーゲルジョー・シャスターのコンビが生み出した「スーパーマン」の原稿が採用された。このスーパーヒーローの登場雑誌は、アメリカン・コミックのゴールデン・エイジの幕開けを告げる歴史的な作品となった。

1930年代後半、コミック出版の経験があるマックス・ゲインズがドネンフェルドに接触し、自身の出版社への資金援助と配給を求めた。ドネンフェルドはリーボウィッツをゲインズのパートナーにつけるという形で、この依頼に応じる。ドネンフェルドには、インディペンデント・ニュース時代の相棒であるリーボウィッツへのお礼の意図もあったが、同時に彼を自分の会社に留めつつ、ゲインズの行動が自分のビジネスの利益になることを確実にしたのだった。1938年の時点で、ゲインズとリーボウィッツはナショナル/DCの独立した姉妹会社であるオールアメリカン出版社の主要オーナーになっていた。

外部リンク編集

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

FANDOMでも見てみる

おまかせWiki